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北欧でゲームのお仕事

北欧フィンランドのヘルシンキの思い出を上塗りしに行ってきた

みなさん、夏をいかがお過ごしでしょうか?今回はゲームの話ではなくフィンランドの個人的な話になりますのでご了承をば

フィンランドヘルシンキには社会人留学で1年半居住していたことがある。2011年から1年半ほど。北欧暮らしはそれが初めてだった。

 

 

夏は綺麗だと思ったが、想像以上の寒さと暗さと友達の出来なさとフィンランド語の難解さに「なぜ自分はフィンランドに来たんだろう」と思うことが多々ありながらも、日本に帰国した。

 

 

その後、日本で働き、大好きなインドに移住しインドの人と結婚したら、仕事の関係で、また北欧に戻ってきてしまった。コペンハーゲンに2年、スウェーデンにはもう5年目に突入している。

 

 

インドの神様は私に何の試練を与えようとしているんだろうか

 

 

ウパニシャッドをもう一度読めということか・・・ガネーシャ

 

 

まぁそんな思い出話はさておき、11年ぶりに友達の結婚式に参列する為、ちゃんとヘルシンキへ行ってきた。仕事では1泊2日などで行くことはあったがちゃんと滞在するのは11年ぶりである。

 

 

なんと着いて速攻ダブルレインボーが出迎えてくれた。

 

 

 

だが私の心はそんなものでは晴れない。

 

 

街を散策してゆっくりゆっくり当時の思い出を振り返りながら上書きしていく

 

 

 

 

バーで当時を振り返りたそがれてみる

 

 

ロンケロ

 

 

11年前と比べると完全に観光地化している。地元の人用じゃないサウナがところどころに出来ている。

 

 

 

 

 

変わっているようで変わっていない。

 

 

変わっていないようで変わっている。

 

 

 

 

 



ヘルシンキも11年で変わったし、私もこの11年で変わった。

 

 

ヘルシンキの道を一歩一歩進むうちに嫌な思い出がひとつひとつ足元から煙のように消えていった。

 

 

北欧に住んだ今、こんなキャンディショップだって普通に見えてくる。

 

 

 

 

食中毒になっても誰も助けてくれず死にかけた、あの頃ー

 

雪の降る夜にカギを家においてしまって閉め出されて凍え死にそうになった、あの頃ー

 

‐25度の冬に外に出るのにアルコールの力が必要だった、あの頃ー

 

孤独な時の人間関係ほど即席なものはなく虚しくなるだけだった、あの頃ー

 

 

どれも自分が未熟だったといえばそれまでだが、当時はとても辛かった。

 

 

そんな思い出も今の自分を強くしてくれた、大切なものを分からせてくれた。

 

 

そんなヘルシンキにありがとう。

 

 

そして、これはフィンランドに限らず、どこの国でも起こりうる経験だと思う。

 

 

人生いい事ばかりじゃない。

 

 

でも辛いことがあると人生強くなれる。これは多分本当。

 

 

ありがとう、ヘルシンキ

 

 

 

念の為
ちなみにフィンランドには仲の良い友達もいるし、応援しているゲームスタジオもたくさんあるので、別に嫌いなわけではないです。ちなみに今自分が住んでいるスウェーデンのマルメは結構好きです。ただ冬暗いのはまだ慣れないですw